課題一


 頼りにするのとあてにするのは違います。自分のことは自分でしましょう。これ、幼稚園くらいからずっと言われてるでしょ。最低限やれよ。

 と思うことが、次々と起こる昨今。


 これは今、私に与えられた課題かもしれません。

 
 手助けするのは悪いことじゃないけれど、そこに対象を育てようみたいな気持ちがなければ、結果丸受け(???丸投げの反対の意味のつもり。がはは)になってしまう。寄付や援助と同じで、とりあえず単発の問題を解決するんじゃなく、問題を自分で解決できるように支援してあげることが大事なんであって、全部やってあげては抜本的な解決にはならないってことよね。米を送るんじゃなくて、稲作技術を教えろよみたいな。


 あまっている米を送っている間は、在庫抱えないですむしぃぃ、倉庫あくしぃぃ、あまっているものだからいいよてな感じでこっちも助かるくらいの気持ちで送っていられるわけだけど、余剰米がなくなっても、米が足りませんっていわれて、自分で食べるはずの米まで送ってるみたいになっても、米要求してくる・・・みたいな。で、「もうお米なくなっちゃたんだよね」っていうと、そんなこといわれても困る!みたいな・・・こっちからしたら逆切れなんだけど、「ごめんね」って言わなくちゃいけなくて、「いいよ(ーー)」って『許してもらう』みたいな・・・おかしいだろ。米を送るのは義務か?自分の米は自分で確保しろ!と言えなくなってしまっているみたいな。感謝されたいから米送ってたわけじゃないけど、いつの間にか、米送るよねと“あて”にされていて、送れなくなったら、そんなの困るって怒られる・・・おかしいような気がするが、そうしてしまった自分が悪いのか?せめて、自分「も」であって欲しいが・・・まあね、よく私自身もいうのよ、永遠に「してあげられる」んじゃなければ、下手に手を出すんじゃないと。できる間だけやって、できなくなったら、もうおしまいっていう状態にするのは、かえってよくないと。やり方間違ってんだな>自分。


 あまった米なら本当はあげてもいいと思うし、そうすべきとき、そうしてもいいときってのもあるんだと思うが、今は米を送るときなのか、時間かかるけど稲作を教える方向にもっていくべきなのか、ノータッチにすべきなのかの見極めが難しい。見極められても、実践できないことも多い。状況が許さなかったり、相手に受け入れ態勢がなかったり、米はもらうもんだとしか思ってなかったり・・・教えようとするとそれこそ逆切れされそうな人もいたりして・・・逆切れして関係も切れてもいいやって思える場合はそれでもよいんであるが、そうとばかりもいかず・・・そうするとだんだんフェードアウトしてしまお〜っと、と思うんであるが、本当は稲作を教えたいので、それは私にとっては結構ストレスだったりもして・・・そこを我慢することも自分にとっては結果Happyなのかもしれないが・・・・米をあげるよっていうのは私のいいところでもあり、悪いところでもあり、ってとこか。いいところをいいところのまま残しておければ、もっと自分自身に対しても信頼度が増すと思うのだが、そこを封印しなくてはいけない状況になるのが、悲しいというか残念に思うこともある。で、考えこんでいると、なんであたしが自分のいいとこを封印せにゃならんのよ!ちゃんと考えろ!と相手を攻撃してしまったりして・・・

 やっぱり課題だ。


 偉大な課題だ。


 ああ、生きるって難しい(T_T)人間て難しい(ToT) 超田舎にこもって人と関わらない生活をして、米でも作って生きていくか・・・そして、あまった米を送って・・・だめじゃん!がははっはははっは