久しぶりの更新

 10か月ぶりくらい。



 もっとも近い時期(っていう単語が思い出せない)に書いていることをいまだに考えていることに愕然とする・・・っていうか、あきれるっていうか、なんだよおい>あたしっていうか・・・・・

 うつ傾向があると、決断という行為ができづらくなるらしいが、あたし、ここ数年、全然まったくほんとーーーに決断力ゼロ。同じことをずーーーーっと悩みかんがえている。
 


 あほか。


 でも、ここ数週間で、私の中で変化が起こっているような気がしている。話をしていて楽しい人っていうのが少し変わってきた。一時的なもんかもしれないが、平野啓一郎氏の本にある「分人」という考え方に出会って、影響されているかもしれない。
 もちろん、いいこと・・・・のような気がしている。


 全然関係ないけど、あいつ、やっぱりわからん。わからんっていうか、怖い。本当は何を考えているのか・・・・私以外の人からは、絶大なる信頼を得ている・・・ように見えるだけで、実は、違和感持っている人もいるような感じもしないではないが、絶大なる信頼を得ていることは私以外の人々も認めているので、そういう人に対して批判めいたこと、否定的なことをいうのはためらわれるから言わないタだけ・・・・・と思ったりもしているが、やっぱり私の感性かおかしいのか?だからって、気軽に「ねえ、あの人、本当は悪い人だと思わない?」なんて聞けないしね。わはは
 私のとらえ方が間違っているんだとしたら、大変失礼なことではあるが、ながーーーいこと感じている違和感だから、あながち間違っているわけでもないのかなと思ったり。

 「分人」思想?でいけば、というか、どんな人でもいろんな麺をもっていて、ラーメンそーめん・・・じゃなくて、いろんな面をもっているわけなので、「は?」と思うような面があってもそれ自体は全然問題ないわけだけど、悪魔的な面を目の当たりにすると、しかも、それが私に向けられた攻撃だったりすると、腹も立つけど怖くなるのよねぇ。

 ま、いっか。

 そんなに影響ない・・・・かな・・・・ないようにしたい。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)


 こんなあほな文章の中で紹介してごめんなさい>平野さん。

 場によって、相手によって違う自分を意識していた私にとってはいい本でした。本当に。人との接し方で悩んでいる人には結構おすすめ。悩みの種類にもよるけど・・・そりゃ当たり前か。頭のいい文系男子ってこんな感じか〜〜と思ったりもしました。