悲喜こもごも

 不本意ながら、またまた(って感じ)ややこしい話に巻き込まれている。



 巻き込まれているというか、当事者なのかもしれないが・・・・・わかるように書くのは面倒くさいので、詳細は割愛するが、「普通」とか「常識」とかそういうのが通用しない人・・・・いや、その基準が違う人、つうか、全然同じ土俵に上がってこないというか、土俵はここしかない!と強く思っている人を相手には議論が成立しないことを、痛感している。



 こうして書くと、妙にすっきりしてしまい、わかりきっていることじゃんと自分でも思うが、たぶん、昨日までのあたしは、頭では理解していても体得してなかったと思う。



 その人のいう話は論理的に破綻しているにも関わらず、強い信念を持って・・・・なのか、単に頭が悪いのか、硬いのか、話は穴だらけでつっこみどころ満載で、どこからつついていいかわからないくらいめちぇくちゃな話なのに、どの部分をつっこんでも、ゆるがない。暖簾に腕押し、ぬかに釘・・・・ダメージすら受けない様子。英語しかわからない人と話していて、わからない単語があるから、「その単語の意味は?」って聞いたら、「なんでそんな細かいところにこだわる!」って言われたような、英語がわかるフランス人に「フランス語単語くらいしかわからないので、できれは英語で話していただけますか?」といったら、一応英語で、「なんでそんなところを指摘するんだ!私に抗議したいのか!」と言われました・・・みたいなことの繰り返し。



 2時間話したけど、かみ合わない。手続き上、抜けがありますよってことを指摘してるわけであるが、「大儀の前では民主主義は無視されてもしかたない」(夫からのうけうり)という信念のもと、「私どもの手続きには一切不備はございません」「●●が全員一致で同じ方向を向こうと決めたときにそういう細かいことを言われても困ります」「●●の決定がまずあってという話ですから」の一点張り。だから、その「●●の決定」ってのが、誰と誰と誰による協議で、本当に公正に行われているのかどうかを知りたいだけだから、その過程の様子を教えてくれよ。全員とかみんなとか言ってるけど、どの範囲での全員でありみんななんですか?本当に総意をくみ上げている形になっているんですか?そのとき、何故、特定の集団が必ず不在なんですか?声かけてますか?都合のいい人だけ集めて、都合のいい話をしてるように感じられてしまうんですが、違うならそうじゃないことを納得させて欲しいだけなんだけど。

 
 この質問を何度しても、「●●で決めたことなんですから」ということに終始し、全然説明にも回答にもなってなくて、最後に何度目かの「●●の決定がまずあってということですから」的発言を聞いたときには、一瞬にしてその後の展開をシュミレートし、「●●とは具体的に誰のことで、その決定が絶対であるという根拠を教えてください」という質問を飲み込んでしまった。踏ん張りが利かなかった。全然理論とか理屈とかはないから、「論破された」ってわけではないのだが、気分的にはそんな感じ。理論武装してないくせに、論破できるのって、ある意味すごい。


 もう面倒くさいから、勝手にやってよ・・・・っていう気持ちにもなるのだが、勝手にやってよにすると、本当に勝手に進められてしまうから、やはり、面倒くさくても、話にならなくても、なんらかの形でこちらの意向や示していかなければならず、疑問はぶつけなければならず、不備は指摘しなければならないのだろうかね。


 多くの人が、くえねえ奴とは思っている・・・と思いたいが・・・のに、そういうことを指摘せず、なんとなくうまくやっているのを、憤懣やるかたないという気分で見てきたが、こういうことを経験して、まともに話ができる相手じゃないってことに気がついて、ああいう風になってきたのかなと思ったりもし・・・・・


 短絡的に考えれば、こういう人がしかるべき地位にいることは問題であって、しかるべき機関なりしかるべき相手に相談し、論理なき理論、理論なき論理?イメージでとらえてね、ともかくそういうことがまかり通らない、その人がいうところの細かいことを確認して、積み上げて、それが公正かどうかを判断するという手順が必須であるところで、第三者に立ち会ってもらって話を進め、交通整理をし、まず昨日の話の真相を明らかにし、そこで問題点を抽出し、協議し、明らかに不備があったと判断されても相手に改善の意思がなければ罷免という方向を考えるのだろうが、こんなことしても自分の気持ちが晴れない気もする。



 何か議題が上がったら、妥当かどうかを本当の意味で話し合い、情報を開示しつつ公正に結論を出すという、私としては普通と思う体制を作って欲しいと思ってる・・・・そういうことかな。



 個々の結論がすべて心から賛同できるものである必要はない・・・というか、そんなことはよほどのことがない限りありえないと思うが、それでも、決定する過程で公正に議論が尽くされ、特定の誰かへの利益誘導とかそういうことになってなければ、どっかで折り合いつけて納得するよう努力しますってことはあると思っている。できれば、そういう我慢みたいなことなく、うまい具合に調整ができて、皆で同じ方向をむけるのが理想ではあるが、それにしても、やっぱり一方的な押し付けではありえないと思うんだよね。


 理念が正しければ、何をやってもまかり通るってことじゃないと思うんだけど。



 
 随分理路整然(でもないか・・・(^^;)と考えているように書いたが、頭の中はぐちゃぐちゃで、疲れたのもあるし、細かいことばっかりいってあんたが悪い!って言われた気もして気分も悪いし、あまりに話が通じないことのイライラ感もあるし、あたしが悪いのかな〜、なんであそこでこういうつっこみができなかったのかな〜、もっと踏ん張ってあの言葉を飲み込まなければよかったな〜と反省や後悔や不甲斐なさで凹みまくって、夜中に夫と涙ながらに語りあい(夫は泣いてません)、久々に夫に慰められた。家族ってありがたい。夫婦ってありがたい?夫ってありがたい・・・かな。雲ちゃんもちゃんと理解してないながらも(意外にわかっているのかもしれないが)、「ママ、元気だせよ。今日は早く寝ろ」なんて言っちゃって・・・・やっぱ家族ってありがたい。結婚するって素晴らしい!がはは



 また昨日の話に立ち会っていた人から、「よく頑張ってたよ」「力になれなくてごめんね」「あなたがいたからあの程度の話でとどまっていたよ、ありがとう」などのメールをいただいたり、詳細事情は知らないけれど、あたしが凹んでいることを知った方から、ありがたいいたわりのお言葉メールをいただいたりして、「あたしって愛されてる」感を味わったりもした。


 こんなことでもないと、なかなかこういう幸福感ってのが味わえないのがなんではあるが、悪いことばっかじゃないってところが、なんていうか、自分の中では、この話がよいほうに転ぶことの予兆のようにも感じている。