やめる勇気

 プロ野球のファンってわけじゃないんだが、金本選手の引退の話。


 プロスポーツ選手としては結構な年齢になるまで現役で頑張っている人っていうのに、強く心を動かされる昨今。ガンバっている最中もだけど、引退会見はさらに心を動かされます。


 その金本選手が、引退するにあたっていろいろと複雑な思いがありつつも、ほっとした部分も大きいといっていたのが印象に残り・・・体力的にきついというようなことを言っていたのも心に残り・・・・私が最近気に入っている言葉…というか、場面というか、そういうのがあって、それは、もうずいぶん前になるけれど、千代の富士が引退会見したときに「体力の限界」といった場面。

 自分で自分の限界を実感するって結構きついことだと私は思うんだけど、認めてしまうと楽になるっていうのもあるんじゃないかなと。
 あきらめたり、やめたりするのって、いつでもできるからとよく言うけれど、決断するのは結構勇気がいると思うんだよね〜。後悔するかもしれないし・・・とかうじうじ思っていると、「やめます」というというか、決めることを決意できないっていうか。誰かが、今がやめる時ですって言ってくれればいいんだけど、自分で線引きしなくちゃいけないんだもんね。自分で決められるからいいようでいて、自分で決めるから自分が責任とらなくちゃいけないし。

 やめるのも、捨てるのも、勇気が必要。


 でも、そういう勇気も必要。


 しがみついているときにはわからなかったいろんなことが見えたりするしね。思った以上に楽になっていたりするしね。でも、あきらめないでぎりぎりまでしがみついている恰好よさっていうのもあると思ってはいるのよ。ジタバタした挙句の勇気はなおさら格好いいように思っており・・・・・徹底的に納得するまでジタバタしたら、そのジタバタは達成感となるのだ。なるのだ・・・って(^^;)ああ、語彙が足りない。作家になろうっていうのにこんな語彙じゃ、アマ○ンのレビューでぼろくそに言われるじゃん。あの作家みたいに・・・がはは。売れりゃこっちのもんだけどさ・・・って何の話?つうか作家になろうとしてるの?だって、ネタが有り余っているんだもの。プロットだけなら200個くらいある。それは嘘か、100個くらいか。100個あれば組み合わせて作ったって、長編20本くらいはかけないか?誰かあたしに長く文章を書く才能をください・・・ってだから、なんの話だよ>自分。


 最近、捨てる快感みたいなものを経験した・・・ような気がしています。


 悩んでいるときが一番つらいね。

 
 家の中のものも三分の二くらいは捨てたい。身軽に生きようぜ!